夢追い人

"It takes a dreamer to make a dream come true."―Vincent Willem van Gogh

日本の子供に対する評価

ひさしぶりです。記事書くのも"今を見る”のカテゴリで書くのも…
テスト直前の深夜ということは基本気にせずに行こうと思っております。

まぁ、自重宣言しながら少しずつこのブログをWordPress.comに移転しようかと考えているところではあります。(CSS編集できないこと判明してガン萎えして現在硬直状態。)

さて、今回のテーマ、
日本の子供に対する評価

というわけでありますが、どうしてこんなものを書こうと思ったかといいますと簡潔に言えば安藤忠雄さんの老害ぶりにげんなりしたからであります!!!!
安藤忠雄というのはまぁ有名な建築家なんですが、徹底した保守派である上(デジタル機器を一切使おうとしない。)、というかそれはどうでもいいのですが、日本の子供がエネルギッシュじゃないと。
しかも、現代の子どもが大人に依存しきっているというようなことを言っています。
じゃあさ、

石川遼とか浅田真央とかはどうなんだ?と。いや、こんなに有名な人を挙げなくてもいいかもしれませんが。

結果それがなにを引き起こすか?これが問題です。
それは
  • 表面的な意見で多くの大人たちを誤解させる
  • 子供に無用な不安を与える
これもはや公害
最初にもつかいましたが、まさに老害の文字にふさわしい人物です(意味は各自で調べてください。)






さてさて、ここまでアンチネタで埋めてきましたが、あまり決め付けるとそれは安藤忠雄が行っていることとそう大差ないことになってくるのでもう少し真面目に考えてみましょう。そう。サンデルの授業のように。
では、簡単なところから。安藤さんの意見について考えてみます。ここからは疑問提示の形をとってみましょう。

果たして、デジタル機器(メールやパソコン)を使わない保守的な考えに意味はあるのか?

安藤さんはコミュニケーションなど直接あって話すか、できなかったら電話もしくは手紙でいいといっています。
では貴方はこれについて賛成ですか?反対ですか?

ちょっと考えてから先を読んでください。ではこの"保守""革新"について客観的に見ていきましょう。
どちらも同じぐらいの利点があり欠点があると思います。保守をみていくとたしかに昔の文化・技術を尊重するのは大切であるし、時としてそれがいい結果にかたむくことだって絶対あります。ただし、それでは人類は前へは勧めません
対して革新は人類の進歩を促進させる代わりに、大切なモノを無くしてしまうリスクがつきまといます。
やっぱりどちらも同じようなものです。ここで安藤忠雄個人の問題として立ち返ってみると、まぁ設計に革新を求めないのは個人のかってであります。でも、それをコミュニケーションまでもってくるのはどうか?
これは個人の問題ではないと思います。
古来からコミュニケーションの革新というのはあるべくしてあったのだと僕は思います。
直接あって話すのに時間がかかるので手紙が生まれ、手紙よりももっとスピーディーにということで電話が生まれ、そして然るべき理由でメールも生まれてきたのです。
それをナンセンスなどと決め付けるのはどうなんでしょうか?


ちょっと疑問を投げかけて終にさせていただきました。本当ならもっと書かなければこの記事は完成したことにならないのでしょうが、まぁ時間も時間であるのでここらへんで断ち切らせていただこうと思います。
安藤忠雄がハーバードの教授になってるらしいんですが、同じ大学の教授に「単なる老害の自己満学者」と「人を感動させ人を考えさせ正しい道へと導く教授」がいるというのはなんとも皮肉なもんですね(後者はサンデルのことです。)
自分は気持よくても、相手を間違ったところへ導く講義…いや決めつけでしょうか?…はまぁしてはいけないことをよく実感しました。
ですので最後に一言。これはあくまで僕及び僕の周りの少人数の意見です。これが全ての人にあてはまるとは限りません。できればこれを読んで(学生の拙く幼い文章ではありますが…)自分なりの考えをふくらませていってほしいなと思います。