『つくる』
最近多用しているこんな言葉がある。
―今ここにない未来は自分で創る by 日向徹(リッチマン、プアウーマン)
今日はちょっと語りたくなったので、この『つくる』ことについて存分語っていこうと思う。
『つくる』の再定義
『つくる』といって何を思い浮かべるだろう?
工作?絵画?このブログを好んで読んでくれるひとならプログラムかもしれない。
このように普通『つくる』のは物体、デジタルとはいえやはり具体的な『もの』が対象となることが多いだろう。
しかし最初に挙げた言葉のように『つくる』対象には抽象的概念だって含むことができよう。たとえそれが厨ニと感じる人がいようと、熱心な宗教家に「神しかつくれないものなのだ」と反論されても、それができるならば仕方ない。
だからこそこう定義しよう。
そこにない何かを存在せしめる行為が『つくる』だと。
偉人が行ってきた創造
では人間が実際に抽象的なものでしかないものをつくりあげた例を考えてみよう。
たとえばスティーブ・ジョブズ、つい先日一周忌をむかえた彼だが具体的な製品については賛美がたえないにも関わらずその生活となると実態があきらかになるにつれ否定的な人も増えている。
そんな彼がイノベーションを成し遂げられたのは何故だろう?
僕はこれが彼のつくりあげた人間関係や身勝手さ、カリスマ性などにあると思う。つまり彼は彼が自由にイノベー卜できる環境を自分でつくっていたのではないだろうか。
べつにこれはこんな例をあげなくても皆さんが自分の半生を振り返ってみれば自明なことなんだと思う。
だからこそこう考えよう
まもなく受験生、そこで僕はこの理論に基づきこう考えることにした。
『勉強とは特定の条件をパスできる頭脳をつくりあげることだ』
つくることは楽しい。単純作業はつまらない。
でも、人生が『つくる』ことの繰り返しならば、こういう発想の転換が重要なのかもしれない。
というわけでテストで良い成績をとる頭脳の開発頑張ります( ・`ω・´)