夢追い人

"It takes a dreamer to make a dream come true."―Vincent Willem van Gogh

受験勉強中気になってたこと

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photo by Mikey G Ottawa
flickrの画像ですけど、大丈夫なんですかね?(笑)

さて、前期試験前にfacebookで書く書くと言っておきながら、終わった後急激に書く気が失せた「受験勉強中気になっていたこと」を書いていこうと思います。受験勉強の反動でおきていたモチベーションであるらしく、本当はこういう政治的なこととかとりあえず今は考えたくないなというのが正直なところなのですが、後期の勉強をやろうとしても何か自分の意見を書くという能力が欠落してしまっているようでなかなかシャーペンが進まないのでリハビリ的な意味をこめて書いていこうと思います。

ネットだけでみた都知事選

大雑把なカテゴライズとして、田母神さんの支持層がいわゆる「ネトウヨ」、宇都宮さんの支持層がいわゆる「放射脳」、家入さんの支持層が「その他」であったと思えます。あくまでこれは個人的な印象なのですが、舛添さんに決まった今回の都知事選はこの三者を見比べてみた時ネット内での勢力の面で「ネトウヨ放射脳≧それ以外」という力関係が見えた気がしました。たしかに全体的に見ればネトウヨとマスコミは相反する思想を持っていることが多く、それでバランスがとれているとも思えるのですが、しかしこの両極端の状況はネットへの不信感とマスコミ批判を生み出しているようにも思えます。バカッターなどもそうですが、もう少しこの非ネットユーザーからの不信感を生む要素をネットから減らしていって、ネットがもっと幅広い人々のものになっていけばいいのになぁ、とそんなことを感じました。

家入さんについて

都民でもなく未成年者でしたが、僕は影ながら家入さんを応援していました。そんな中、選挙期間中の言動や周りからの評価、そして終了後の動きを鑑みて家入さん的思想が今後どのように発展していくかを考えてみました。
とりあえず、家入さんが批判されていた論点は「政治的未熟さ」、「無計画性」そしてあるいは「家入さん自身の性格、あるいは過去の言動」というものでした。しかし、僕の考えではこれらはすべて家入さんの計画が行き着く未来を想像してみると、その趣旨を理解しておらずある意味的外れの批判となっているのではないかと思っています。というのも家入さんの計画をどんどん突き詰めていくと、そこにある概念は間接民主制か直接民主制かといったことではなく、人か政策かという二項対立だと思うからです。家入さんおよび家入さんの支持層の「政治が遠くなっている」という感覚は、僕の解釈では政策によっての柔軟さが今の政治に見えないところに起因するのではないかと思うのです。それどころか猪瀬前知事のように、一つの失態だけで他の面は全く顧みられずに辞任に追い込まれてしまいます。家入さんが副知事などのポストに今回の候補者を適材適所でお任せするといった意図はここにあると思います。たしかに全ての分野を横断してできる人は必要です。でもやはり最後の判断はその道のプロフェッショナルに任せたほうが安全です。そうすると全ての分野を横断してできる人とはどういった人なのか?このことを考えるとそれは自分の得意な分野以外の全ての分野で素人である人ではないかと思います。プロフェッショナルが出来ない発想を本当にできるのは素人だけだと思うのです。
少しまとまりそうにないので話をちょっと元に戻すと、僕は家入さんのシステムが本当に大成した時に実現するのは、政策に投票する選挙であると思います。政治家はそれらを実現するためのその道のプロフェッショナルです。
この観点…といえばいいのでしょうか、この視点で見ていると政治家を選ぶ選挙や政党というシステムは非合理なように思えてしまいます。今回の都知事選では宇都宮さんと細川さんの大同小異が叫ばれていましたが、そもそも特定の政治家を選ぶという行為自体が大同小異だと思います。個人個人の考え方に、確かに一致するところはあるでしょう。しかし、同じイデオロギーを持っているとはいえ全部が全部同じであったらそれはそれで気持ち悪いと思うし、おそらくいないと思います。すると、曖昧なことを言う人かメインテーマと多くの人に捉えられている問題で多数派の意見を持つ人が選挙に勝っていきます。その結果どんなに圧倒的支持を得ていても、後々他の面において不満が出てきてしまうのです。これではどう考えたってみんなの納得のいく選挙の結果なんてほとんど生まれないと思います。これは国民が本当は政策で選んでいるのに、実質は人を選ぶことになっている、ここの矛盾…といえば言い過ぎかもしれませんが、対立に原因があると思うのです。またこれと同じ原理の弊害は政党の分裂という形でたしかに現実にあらわれています。これは政党がイデオロギーが大体同じの人の集まりという寛容な集団という理念と相反する党の意思に背いてはいけないという風潮やルールなどの現実があるからです。家入さんの計画はこの問題を根本から解決するものではないかと思うのです。

まとまりがつかなくなる前に、最後に僕なりの家入さんの計画の行き着く先についての考えを述べておきます。

  • 政策は公募、そして随時全国民から評価される
  • 政治家は能力で選ぶ。考え方ではなく、その道で適切に政策を運用できるかが選ぶ基準となる。

もしかすると、以上の議論は自己矛盾を孕んでいるかもしれません。が、それはともかく、家入さんが今回の選挙で提示した政治の形は、確実に理想の政治を生み出していくのではないかなと思いました。

情報の切り取りについて

少し前の項目で疲れてしまったのでとりあえずこれで最後です。
マスコミが批判される主な原因になっているのは情報の切り取りです。と同時にその批判をしている主な場所であるネットで、多くの誤解を生み出しているのもやはり情報の切り取りです。
こう見ていると本当に情報の切り取りはいいことなのかと思えてきてしまいます。
例えば安倍首相批判に繋がっている一連の報道ですが、これは大部分が情報の切り取りによって生まれている批判と言っても差支えのないことがよくあります。マスコミが批判している論点が前後の流れを見てみると全くずれたものであるという例を何度か見ています。(例えば特定秘密保護法とか)
その一方で最近だと森元首相の真央ちゃん含めたオリンピックに関する発言に対する騒動です。これはマスコミが切り取ったせいでたしかに余計酷い発言になりましたが、全文が公開されても依然賛否をよぶ内容でした。
そう考えると、情報を切り取った時に伝えられるのは伝える側の解釈あるいは意図ということになります。これは確かにそうだと思います。しかし、本当に伝える側の解釈や意図のみを伝えるだけにとどまってしまっていいのでしょうか?そもそも、大体の人は情報の切り取りなど考えず、新聞やニュースで見たものが情報の全てであるように捉えてしまいます。するといくらそれ以前の段階で見る側の選択権があるとはいえ、最終的には意見の押し付けになっているように思うのです。これではそれこそ国民の知る権利が侵されているような気がしてなりません。
僕の希望を言えば、情報の切り取りなどなく、全てのメディアが情報を提供する時は、とりあえずその情報は全て生で掲載し、そこに補足として伝える側の見解をくわえていって欲しいです。個人の考え方はやっぱりその人特有のものですからね。

まとめ

個人の考え方をカテゴライズすることは現実的でない。