テクノロジーは廃れないのではないか?
今日ふと思ったことです。
テクノロジーの発展に関しての憶測として「次第に紙は必要なくなる」とか「シンギュラリティ以後はプログラミング必要ないのでは?」といったように既存のテクノロジーが新しいテクノロジーに淘汰されていくという考え方があります。
でも果たしてそれは本当にそうなるのでしょうか?とふと疑問に思いました。
語弊を恐れずにいえば、テクノロジーというのは人間が既に出来ることを置き換え限界を突破するものと言うことが出来ると思います。
紙は人間の記憶という能力を置き換え、さらにはそれを気軽に運んだり、その人自身がいなくとも伝えたり残したりすることを可能にしました。でも紙は簡単に燃やしたりして壊すことが可能ですし、なんでもかんでも残しておくには資源にも限りがあります。だから人間の記憶という能力は消えませんでした。
デジタルなデータはそんな紙のかさばるところやら脆さをカバーし、さらに情報を電子化することで紙よりはやく、手軽に、大量に共有することを可能にしました。でもデジタルなデータもコンピュータという媒体がなければなりたたず、そこが壊れてしまえば一気に大量のデータが失われてしまうことになります。まだ過渡期だというのもあると思いますが、紙はいまだ廃れる気配を見せず、むしろデジタルと紙の用途にそった使い分けがなされるようになっています。
プログラミングだって同じだと思うんです。
先日「AIがプログラムするようになったらプログラミングはいらないんじゃないか」と質問してきた人に「それはまだ先の事だし思考力を鍛える点でも重要なんです」といった返答をしたというツイートを見たのですが(記憶が曖昧なので不正確なところもあると思いますが…)これに少し違和感を覚えました。
本当にAIがプログラムを書けるようになったらプログラミングは必要無くなるんでしょうか?
そもそもそのAIの制御は誰がどうやって行うんでしょうか?
全てをAI任せにしてしまって、それでは人の意思はどこにいってしまうのでしょうか?
たしかにAIにプログラミングをさせるというのは人間の脳を再現するという目的に近づく研究対象としては重要なものです。でもそれはあくまで学術的なものであって、日常に必ずしも深く踏み込んでくるものではないのではないかなと思います。
丁度デジタルではなく紙を好み、紙ではなく記憶や生身の体験を好む分野があるように。
プログラミングは未来でAIがつくるものを解釈し、制御し、抑制し、改良するためにやっぱり必要なんです。
言いたいことが大分それてしまった感じもありますが、一度生まれたテクノロジーは必ず新たな役割を持って生き続けるのではないか?そんなお話でした。
おしまい