夢追い人

"It takes a dreamer to make a dream come true."―Vincent Willem van Gogh

日本企業とApple

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photo by npbn

こんばんは。

先日、映画「スティーブ・ジョブズ」の特別試写会に参加したのですが、今それでまた熱が再燃してしまってスティーブ・ジョブズの伝記を読みなおしています笑


さてそんな中テレビでシャープが買収されようとしているというニュースの中、コメンテーターの一人が「日本人の生き方がシンプルになり、新製品を買わなくなった(のがシャープの経営が傾いている原因だろう)」という発言をしたらしく、そのことについて上の映画とからめて思うところがあったのでまとめたいと思います。

あ、忘れないうちに書いておきますが映画「スティーブ・ジョブズ」は2/12にロードショーです。ちょっとむずかしいところもありますが、ジョブズの人となりを感じられ感動の場面もある面白い映画ですのでぜひご覧になってみてください。

さて、それでは本題に入っていきたいと思います。

僕が疑問に思ったのは「日本人の生き方がシンプルになった」から「新製品が売れなくなった」という論理関係です。これは本当なのでしょうか?少なくとも僕の実感としては新製品が売れなくなった原因には日本人の生活の変容などではなく、現代の日本企業がつくりだす「新製品」自体にあると思ったのです。

この違和感の原因はiPhoneについて振り返ってみるとわかります。日本人が新製品を買わなくなったといいますが、日本人のiPhoneに対する購買力を見てみればそれはかなりの面で嘘だと言ってもいいでしょう。AndroidのシェアをiPhoneが上回っている国の代表格に日本があげられるのはもういろんなところで話されてきたことかと思います。日本の企業以外の製品において新製品が売れなくなったというのは必ずしもあてはまらないと思うのです。


ではなにがこの違いをつくっているのか?それはシンプルさにあると思います。そもそもAppleの主力製品はジョブズがその頑なな信念のもとに生み出した無駄なものを一切はいだ誰にでもどんな人でも使え、かつその使い方を拘束しないものです。使い方が多種多様であるのは決してカスタマイズ性という点ではありません。むしろそういう面ではApple製品は劣っているでしょう。なんてったてクローズドシステムなのですから。つまり、この使い方というのは限られた機能の中でいかにそれを利用するかというユーザーの発想力に委ねられているのです。これはちょうど日本人なら誰もが使う箸に似ています。箸は一見すればただの二本の棒でしかない極限まで機能が削られた道具です。ですが日本人はこの箸をつかって、フォークやスプーンなどの他の道具よりはるかに多様な使い方をします。二本に昔から根付くものは大抵の場合そうです。日本人の生き方がシンプルになったのではありません。もともと日本人はシンプルだったのです。

じゃあなんで新製品が売れなくなったのか?それは日本の新製品というものは大抵の場合その技術力を駆使してつくったオーバースペックな既成品だからです。4Kテレビなどがいい例でしょう。いくら画質がいいからといって、もうすでに十分ぱっと見大して変わらないテレビを持っている人が改めて買おうとなるでしょうか?たしかに一部のマニアや、画質にこだわりがある人ならそうするかもしれません。でも普通の人はそんなにいらないし...と安い旧製品を買っていくでしょう。それでも十分のスペックを誇っているからです。もちろん画質の話をしているとじゃあAppleRetinaディスプレイも同じじゃないかというかもしれませんが、これはおそらくAppleのクローズドシステムと古い製品を持っているとじわじわと取り残されていってしまうような仕組みに作用されるところもあってまた違った議論が必要となるのでとりあえずは置いておきましょう。
またあるいはオーバースペックという以外にも無駄な多機能というものが日本の製品には多いです(たぶんこっちが原因の大半でしょうが...)もちろんこれは使いこなせる人やマニアにとってはとても魅力的なものです。しかし多くの人はそこまで機能があっても使いこなせないと言うでしょう。この話題で僕が昔から不満に思っているのが携帯会社のプリインストールアプリで、これほど無駄なおせっかいというか、気遣いというかはないと思います。せっかくなんでさっきのたとえで言うとこれは箸屋に行って箸を買ったら勝手に確認もされず持ち方補助器をつけられるみたいなものです。もちろん箸をまったく使えない人にはありがたいでしょうが、箸を使える人にとってこれほどの無駄はありません。


ジョブズはウォズの作ったカスタマイズ性の高いAppleIIを否定し、完全クローズドシステムのiMacで成功を収めました。「カスタマイズ性」というのはそれができる人間にしか魅力がありません。かといって多機能すぎるとユーザーを疲れさせ、また使わないのにあるという無駄を生み出します。技術力というのは決して装飾物だけに費やすものではないはずなんです。いかに単純なものでも精密につくれるか、そこに日本の技術力があるのはまぎれもない事実でしょう。

じゃあシャープのような状況に陥った日本企業が行うべきは何なのか?それはアイデア力を養うことだと思うのです。そして必ずしも同じやり方でなくともジョブズのような“指揮者”が必要なんだと思います。もちろんこれはAppleなどのアメリカを見習えみたいな単純なアメリカ崇拝思想(今つけた名前)に基づくようなことではありません。やり方だって日本流でいいと思います。でも日本の高い技術力をいかにより多くのユーザーに魅力的にみせるというベクトルに活用していくか、ここらへんのアイデアを、起死回生のアイデアを出していくことがなにより必要だと思うのです。


今回はただの大学生ながら偉そうなことを書いてしまったように思えますが、これは映画を見て、あるいは昔ジョブズの伝記を読んだころの記憶だったり、Appleについて個人的に調べたようなことに基づいて、今回聞いたコメンテーターのコメントに対して率直に感じ考えたことを書きました。
もちろん詭弁であったり自分でも書きながら不安なところもあったりしますが、それでも日本企業が「シンプルさ」という点に着眼点をおいていくというのは海外の企業と戦っていく中でやはり必要なのではないか、とこれを最後の結論にして終わりたいと思います。


それではまた(*´ω`*)